シッタカブリオーネ

虚言・妄言・支離滅裂

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【過剰な頑張り】

仕事において、その局面その局面で必要な労働量というのはあるわけで。
そこで過剰に働かれると、逆に迷惑だということもあるのだな、と感じた。

例えば、ある労働者a,b,cがいるとして、そのとき必要な総労働量が90だとする。
このとき、雇用側から各労働者に求められている労働量が皆等しく30だったとする(つまり賃金が同じだとする)。

しかしaが40くらい頑張る人であると、残りのb,cは各々25働けば良いことになる。
まあこの程度であれば、b,cはaに感謝する、くらいのことで丸く収まるだろうし、
あるいはb,cが通常ノルマ分働いて、総労働量が100になっても、大概プラスになると思う。


けれどもし、aが60働く人だったらどうか。
b,cは当然15だけ働けば良いが、このときノルマの半分でいいのかラッキィ!なんて感じる人など、実際あまりいないだろう。
ではこのとき、bが30働きだしたとする。
そうすると逆算して求められるcの必要労働量は0だ。


ところで大概の仕事においてそうだと思うが、プラスになる総労働量には上限がある。
つまり八畳の部屋を掃除しようとするとき、複数の人手があったら助かるけど、100人もいたらむしろ迷惑だよねということだ。
手があいてるからって、増築してもらうわけにもいかないし。

abcの例に戻るけど、そのときプラスになる総労働量は100だとする。
するとcは10しか働けないことになる。
しかもその10は、別にやらなくてもよいわけだ。
こうなると、cのモチベーションって、いったいどうなんだろうか。


でも現実、ノルマの2倍きっかりこなせる人なんて、あまり多くはないだろう。
なのでaの設定を、60働こうとするが40までしか働けない人ということにする。
言い換えるとaは、40も働いているのにさらにあと20働こうとする人である。

このときb,cはそれぞれ25ずつ働けば良いわけだけど、彼らの目には、自分たちより多く働いているaの姿が映る。
しかもaは、さらに働かねばならないように振る舞っているのだ。

このような場合、その環境に架空の忙しさが生じてしまうだろう。
すなわち、ありもしない労働量の要請が錯覚として生じる、ということ。

b,cがaの架空のノルマを補おうとすると、それぞれ35ずつ働くことになる。
そして総労働量は110となり、もはやプラスではない。



結局何が言いたいか、というと
仮に親切心か何かで人の分まで働こうとするならば、さり気なく、目立たずにするべきじゃないか、ということ。

こういうのって、結構あると思うのですが、どうでしょう?
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  1. 2007/08/04(土) 03:46:31|
  2. 日常
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  1. 2007/10/01(月) 09:17:06 |
  2. 『労働』の知識
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