シッタカブリオーネ

虚言・妄言・支離滅裂

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【僕は僕のための僕】

誰にでも好き嫌いはあって、集団内においてそれを抑えることは大事なことだ。
そう教わってきたし、その通りだと思って生きてきた。
嫌いな相手でも良いところは認めて、我慢して、フィクションなんかだといつかその相手を嫌いではなくなるのが常套で。
そうならないのは自分がダメで未熟な奴だからなのだと、思っていた。

でもそれは、そうして生きることは、とても自虐的でよろしくないのではないかと、今日思った。
自分が何かを好きだとか嫌いだとか感じることは、全然疎かにすべきことではないのではないか。
嫌いな誰かと同じ場にいて、イヤだ嫌いだ憎たらしい死んでしまえ、と喚き散らす内面を押し殺すことは、自分に対してのイジメに等しい。
そうやって泣き叫ぶ自分を助けてやれるのは、自分しかいないというのに。

自分の内面は黒くて汚いのだと諦めて受け入れてしまうのは楽だ。
でも、本当にそうか。
いつでも、内面は口汚く世界を罵るだけなのか。

意識によって無意識を、嫌いなものばかりではない環境に導くべきではないだろうか。
もう憎まなくても良いような場所へ。


結局、我慢は社会を円滑で平和的に見せかけるのに有効ではあるけど、それによって、きっと幾つもの内面が殺されている。
平和に見える絵を描いたって仕方がないのだ。
それを見て褒めてくれるカミサマなんていないんだから。

自分が自分を救うのだ。
ときとして、それが社会との争いを発生させたとしても、自分だけは自分を見捨てず、より良いと感じる方へ向かうべきなのだ。


ココは、何処なのか。
私は、誰なのか。
私は何のために、誰のために存在するのか。

その問いを自らの内面に投げかける。
それは、少なくとも僕にとっては、大事なことだと今日気づいた。
そんなわけで、トータルとして見れば悪くないと評価できる一日でした、とさ。
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  1. 2007/08/06(月) 01:55:14|
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