シッタカブリオーネ

虚言・妄言・支離滅裂

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おぞましい・憂鬱

感情は内側にうごめくものだが、感情の表現は外に向けて行われるものであり、その行為のある程度は他者の観察から学習され模倣されたものだと思われる。
メディアを通して演出された安易な感情表現が氾濫する昨今、その弊害として日常において感情の伴わない感情表現を繰り返す者達が多数観察され、自らをあたかも安物のフィクションの主役のようなものに貶めている人間もしばしば見かける。
問題はそれが外に向けられていて、同じ場にいる者にその滑稽な舞台への出演を迫る働きが、彼のその表現によって生まれてしまうことである。
例を挙げれば、愛想笑いを浮かべながら「マジウケるー」「超ウケるー」と言われて、アナタは僕にどうしろと?みたいなことや、
かと思えば戦争という単語のみで、あからさますぎる沈痛な面もちをして俯かれても、お前はパブロフの犬か?程度にしか思えないんですけど、的なことだ。
あ、いや……、別に特定の個人を想定しているわけではないですよ、はい。


ともかく、そんな中でもタチが悪いのは、明らかに自らの利益を計算した上で為されるものである。
不満があるなら言葉にすれば良いものの、巨大なため息を連発し空気を意図的に濁して、誰かによって不満が解消されるのを待つ、ということをする人を時々見かける。
それはもはや、赤子が泣きわめくのと大差がない行為なのだが、おそらく本人にはその自覚がないのだろう。
彼は望みを叶えるために大袈裟なため息を吐き続ける、しかしその実、ため息に見合う程の不満は持たなかったりするのだ。
その上、彼は自らの表現によって己の過剰演出された感情こそを本心だと信じ込む機能を有していることも多いので、もうどうしようもない。
その表現にレスポンスをしなければ、しなかったその人を軽薄と思いこみ、そしてそこから生じる被害者意識によってさらにため息の出力を上昇させるだろう。
もう、泥沼パラダイスだ。


例えば本当に憂鬱であるとき、人は大概それを隠そうとするものではないだろうか。
フィクションならまだしも、日常において憂鬱を演じられても、滑稽に見えるかあるいはおぞましいだけである。

ほんのわずかな憂鬱が内心にあるときこそ、それを膨張させ外に見せつけようとするもので、これは気をつけたいものである。
表現を模倣すると、結果的に内部より過剰となる、ということも少なくはないのだから。
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  1. 2007/08/15(水) 05:04:10|
  2. 嘘八百並べ立て祭り
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