シッタカブリオーネ

虚言・妄言・支離滅裂

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

賢い・シベリアンハスキー

“シベリアンハスキー”は学校の近くの廃工場に住む野良犬で、僕らはよく給食に出たパンなどを持って行って彼に食べさせていた。
“シベリアンハスキー” は痩せているくせに、僕らがそうすることをあまり喜んではいないようだったし、残さず食べはするものの、その表情はいつも不満げに見えた。
「きっと、こいつ、病気なんだよ」
確か誰かがそんなことを言っていた。
もしかしたらそうだったのかもしれない。
それに見るからに老いぼれの犬だったこともあって、僕らは彼がもう長くは生きないということくらい、理解していた。
他の奴らがどうだったのか知らないけれど、僕はそうだからこそ、彼に会いに通っていたのだと思う。
会う度に、まだ生きている彼の姿にほんの少し落胆し、そして同時にいつかくる彼の屍と対面する時のことを思って、息が詰まるのを楽しんでいた。
決して死んでほしかったわけではない。
どちらかと言えば、その逆を願っていたくらいだ。
でも生き物は、どのように望もうといつか死んでしまう。
それは当時、物語やテレビで学んだことで、僕はその不条理を日常の実感として味わいたかったのだと思う。
今となっては推測としてしか語れないことだけれど、もし目の前にあのころの自分がいたとしても、僕は咎めることも止めさせることもしないだろう。
それは特に非難できることではないと思うから。


しかし“シベリアンハスキー”は、ある日突然いなくなってしまった。
彼は上級生にときどき苛められていたから、もしかしたらどこか別の場所に逃げていってしまったのかもしれない。
あるいは誰かが要請して、保健所の人に連れて行かれてしまったのかもしれない。
彼がどうなったのか、僕にはわからないけれど、結局僕は彼の屍を見ることはできなかった。
僕は少しだけ悲しい気持ちになって、そしてそれは結構ありきたりな感情だったので、楽しむことはできなかった。


ところで“シベリアンハスキー”は、本当はシベリアンハスキーではなかった。
もしかしたらシベリアンハスキーの血を引いていたかもしれないけれど、どちらかと言えば彼は日本の犬種に近い雑種だった。
なぜ彼が“シベリアンハスキー”と呼ばれていたかと言うと、それは彼の瞳が青色だったからだ。
近所で彼と同じような瞳の犬を見たことはないから、おそらく彼の遺伝子が残されることはなかったのだと思う。
今では廃工場さえもなくなり、彼のいた情景は少数の人の記憶の中にしか残っていない。


けれど。
僕は、実家に帰る度に、想像してしまうのだ。
ひょっとすると、彼はまだ、どこかで生きているのではないか、と。
常識的に考えれば、そんなことはあり得ない。
けれど僕は、彼の屍を目にしていないのだ。
餌を不満げに食べていたのは、彼が食べないでも生きていられるものだったからなのかもしれない。
それともそんなことがあるはずはないと、誰か証明できるのか?
彼自身で実験しなければ不可能なことだというのに。


ともかく、彼の屍を見ることができなかったために、僕の中で彼は死を取り上げられたまま、ずっと記憶に居座り続けている。
あの青い瞳は、誰にも受け継がれず、そして閉じられずにいたことによって、彼という特異点を僕の中に永遠にした。
それもまた一種の自己保存と考えるならば、あらゆる死をも乗り越えている彼は、僕にとって憧れの存在だ。
僕にとっての僕は、けしてそうなることはできないから。
スポンサーサイト
  1. 2007/08/19(日) 04:52:21|
  2. 嘘八百並べ立て祭り
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<なまめかしい・アルコールランプ | ホーム | 暗い・納豆>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://3daysbaldness.blog115.fc2.com/tb.php/24-f59bf9bd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。