シッタカブリオーネ

虚言・妄言・支離滅裂

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

【持たない現実】

こうして末永く幸せに暮らしましたとさ。
と幕を閉じる童話は少なくないと思うけれど、どうなんだろう。
物語終了直前の幸福感が延々と持続するわけはないし、それと同等のあるいは越える程の幸福感が得られることがあったとは思えない。
もしそうであれば、きっとそれも語られただろうから。

強烈な出来事とは、良いものにせよ悪いものにせよ体験者に多大な影響をもたらし、体験者はことあるごとにそれを振り返る。
物語になり得る程の幸福感を味わってしまえば、大抵の場合、長い時を隔てなければそれはリセットされず、体験者のその後の出来事を相対的に不幸に見せる。
もちろん全てに対して体験者が不幸を感じるということではないけれど、常にそういう見方ができるという状況はとても不安定だと言えるし、歪んでいると思われる。


虚構ではなく日常に、そういった幸福と言える特異点が生じることを想定してみる。
それはきっと、大きな目標や夢が現実化するとき生じると思われる。
それらが、達成されるまでの人生において比重が大きいほど、その後はある意味でエピローグ、後日談と捉えることができよう。
そんな特異点は、生き続けることを第一に考えるとき、ない方が良い。

何の目標もなく、何の夢も持たない生き方は、長く生きようとする意志と言えないこともない。
健康に長生きすることを第一にしているような老人が、目標を持て、夢を抱けと子供に言う。
ひどく滑稽だ。
目標や夢が本当は命を懸けるものだと知っている子供は、成長し、まだ生き続けている自分は目標や夢を持つことが出来なかったと思い知る。
“目標”や“夢”という言葉自体にコンプレックスを持つ大人は、それが無いことを隠したり、それをコテコテに装飾して流布したりする。

夢なんてなくても、目標なんて持たなくても、生き続ける自分を肯定してあげればいいじゃないか。
それではだめなのか。
生き続けることを、醜くしているのは、そんな在り方のためではないのか。


と自分に対して問うてみたりする午前0時。
うーん……。
スポンサーサイト
  1. 2007/08/23(木) 00:14:04|
  2. 日常
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<《記憶にございません》 | ホーム | なまめかしい・アルコールランプ>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://3daysbaldness.blog115.fc2.com/tb.php/26-bb27765b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。