シッタカブリオーネ

虚言・妄言・支離滅裂

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《15.矢印》

僕にとっての当たり前でみんなと接していると、ときどき哀れむような目で見られるので、自分はみんなと比べたら不幸な生き方をしてきたと思われているのかもしれない。
実際にそうなのかもしれないけれど、だからなのか、神様は僕に他人には見えないお導きをくださる。
たまに不思議な矢印が目の前に現れて、それに従うと、ちょっとした幸福が僕の元へ訪れた。
例えば道端で五百円を拾ったり、好きな子と出会したり、まあそんな程度の幸運だけれど、それでも三日に一度くらいの頻度で矢印は現れるので、僕は自分が不幸だなんて考えなかった。
「ただいま」
母さんは壁により掛かったままテレビを見ていた。
ただいま、と僕が言ったので無反応。
もし言わなければ、たぶん怒鳴る。
僕は買ってきた食料をすぐそばの冷蔵庫に仕舞った。
今から夕飯の準備に取りかかれば、だいたい八時には出来上がるから、どやされることはないだろう。
母さんの機嫌が悪くなければ。
僕は母さんに愛されていないわけじゃない。
愛されているのだと思う。
けれど愛情なんて、本当は大した機能を持っていない。
それだけのことだ。
母性本能だ何だと世間では大事に崇められているものは、結局母鳥が泣き叫ぶヒナの口に食い物を放り込むだけの動物的反応であって、それ以上ではない。
僕はもう自分の食い物を自分で得ることが出来る。
だから愛情が僕に利益を生む形で表出する機会がなくなっても、おかしくはない。
愛されていることは自明だけれど、もし証拠が必要なら、怒鳴ること、殴ること、蹴ること。
僕によって感情を著しく変化させることが、その証し。
逆に僕が親を愛しているのかと言えば、答えはイエス。
どんな仕打ちにも耐えているのだから、自分でも不条理を感じないではないけど、おそらくそうなのだ。
つまりこの生活は、愛情によって支えられているってわけ。
神様が僕に手を差し伸べてくださるのも、ウチがこんな理想的な家庭だからかもしれない。
愛情以外には、未来への希望さえない家なわけだし。

その夜、僕らが二人きりで食事をしていると、突然玄関のドアが開かれた。
数週間ぶりに帰宅した父さんだった。
父さんがいるとき、僕はずっと顔を伏せる。
母さんも同じだ。
「おお、人並みに夕飯か。これ、お前が作ったのか」
「はい」
僕は答えた。
目の前には父さんの足、靴下の破れた跡から汚らしい親指。
「俺の分は、まあ、無いだろうな。俺はここに来るたびに、ひもじさと、亡者共からさえ除け者にされる寂しさを痛感するね。ねじ切れるようだ」
父さんは僕の頭を鷲掴みにした。
「さあ、教えてくれるかい。何故お前は見窄らしき汝の父を迫害してまで、生に執着する。己の欲望は常に満ち足りるということがないだろうに、血を吐きながら延命する生に、お前はどのような価値を見いだしている」
父さんの手は僕の髪を握り、勢いよく壁の方に腕を振るった。
何度も、何度も。
「さあ女よ、そろそろ罪深き己の正体を現したらどうだ。ほら、お前が犯した罪のために、こんなに血が流れている。お前とは何の繋がりもないのに、哀れだとは感じないか。それとももはや、痛覚さえも腐り果ててしまったのか」
「やめてください」
目が眩んで、光しか見えない。
父さんの手の感触を感じるけれど、母さんの泣く声が聞こえるけれど。
「俺はお前とは違い、この子を見るたびに心がひどく痛む。だからこの子に、どんなに痛いか教えてあげている。分けてあげている。コレが愛情でなくて、なんだというのだろう。しかしお前はやめろと言う。つまりそれは、愛するなということだ。哀れな女、お前はさらに罪を犯そうというのか」
「やめて、お願い」
「そう、忘れてはいない。お前は俺が愛する女だ。だから、お前を解放しに来たのだ。もう苦しむ必要などない。この子に真実を告げ、別れを告げるのだ。簡単だろう?お前は私たちの子ではない、私はお前を愛してなどいない。そう言ってあげれば良い」
「いや……。いやです」
母さんが答えると、僕の髪は離された。
僕は床に倒れた。
体が動かない。
感覚が遠い。
なぜだろう。
「お前はかわいそうな女だ。およそ神から見放されている。神はお前に理性をお与えにならなかったのか。それともお前は、それを感じられないほどに弱っているのか。病んだ女よ、それでも俺はお前を愛している」
「いや、来ないで」
「いよいよ愛情さえも拒むか。救えない女よ。しかしお前の心がどのように歪もうとも、お前が生きる限り、神の与えたもうたその肉体はお前に痛みを伝えてくれる。それこそが、救いへの標だ」
「来ないで!」
眩しいだけの視界に、青い矢印が見えた。
いつもより強く、僕を呼んでいる。
行かなければいけないと思う。
僕は這いながら、矢印の方に向かった。
「ほら、あの子が逃げていく。お前から真実を聞かされる前に。お前はきっと、永久に後悔する。まあそれも良いか。懺悔ならいくらでも聞いてやろう。嘆き叫ぶお前も、傷だらけで、血に赤く染まるお前も、涙が出るほど美しいよ」
父さんの声が遠ざかり、僕は家の外に出たのだとわかった。
けれど矢印は消えず、なお僕を連れていこうとする。
僕はそれに従ってさえいれば良かった。
それは神様のお導きだから。
必ずささやかな幸福が、その先にある。
僕はもう眼を閉じていたけれど、矢印は消えず、体はそれに従い、地面を這っていった。

視界が回復した頃、僕は感覚を取り戻し、痛む体を引きずって駅前の通りを歩いていた。
矢印はまだ消えなかった。
いつもよりずっと遠くへ導かれている。
いったいどこへ向かうのだろう。
やがて駅にたどり着くと、同時に矢印は消えてしまった。
それなのに、何もない。
誰か知り合いがいるわけでも、何かが辺りに落ちているわけでもない。
どういうことだろうか。
もし仮に僕を父さんから逃がすためのものだったのだとしても、こんなところまで来なくてはならない理由がない。
僕はしばらく待った。
怖かったからだ。
矢印が何の幸福をも導いてくれないという事態が。
けれど、どれだけ待っても、何も訪れなかった。
僕は家に戻ることにした。
母さんのことが心配だったし、もしかしたら今回の矢印は、神様のお導きではなく、ただの幻覚だったのではないかと思えてきたからだ。
冷たい風が髪を揺らすと、傷口が痛んだ。
父さんは落差の激しい人だから苦手だ。
優しいときと、そうでないときと、全くの別人。
壊れているのかもしれない。
いや、とっくに壊れているのだろう。
恐ろしいのは、あれと同じ狂気を、ときどき自分の中にも感じること。
血が繋がっていないのだとしても、情報は既に脳の中に刻まれているのだろう。
それだって、立派な遺伝じゃないか。
そうじゃないのか、父さん。

家の辺りが騒がしかった。
遠くからでもわかるほど、夜に似合わない明るい光が見えた。
サイレンの音。
煙、喧噪、人集り。
僕の家が燃えていた。
炎が眩しい。
どうして、こんなことに。
僕の眼が燃えている炎と、それを囲む人々と、赤い回転灯を映すのを眺めながら、意識は煙のようにだんだんと消えていった。

火の手は、僕の家から上がったと後で聞かされた。
その中に父さんと母さんの遺体があったそうだ。
二人とも、焼ける以前にもう死んでいたらしい。
僕が出て行った部屋の中で何が起こったのか、それ以上は何も知りたくなかった。
ただ焼け死ぬのはとても苦しいらしいから、そうでなかったのだと知れただけで、良かったのだと思うことにした。
僕はいろんな人の尽力のおかげで、とりあえず卒業するまで以前の通り高校に通えることになった。
今はぼろぼろのアパートに一人暮らしをしながら、ぼんやりと学校に通っている。
朝、母さんは、僕を起こしてくれるなんて事はなかったけれど、あの人に朝食を作ってあげるために、以前の僕は毎日早起きが出来ていた。
最近は寝坊してばかりで、駄目な自分を感じるたびに、僕にとって母さんが担っていた役割というものを思い知る。
しかし朝っぱらから憂鬱に浸っていても仕方がないので、僕は今日も駅に向かって自転車を走らせた。
街路樹がすっかり葉を落としている。
雪が降れば良いなと思う。
まだ早すぎるのは、わかっているけれど。
自転車を駅前に止めて、駅の改札まで走る。
しかしどうやら遅すぎた。
僕が乗るべき電車は、次の快速が通り過ぎて、さらに10分も待たなくてはいけない。
僕は電光掲示板を見ながら、せり上がってくる憂鬱が再び心を沈めていくのを感じた。
動きを止めるとすぐそうなる。
でもそれは自分自身で望んでいるからだろうと思った。
だからそっと、心を委ねる。
そっと沈んでいく。
そっと……。
けれどふいに、視界の隅に現れたそれを見て、僕ははっとした。
矢印だ。
また、どこかを示している。
僕にだけ見える、神様のお導き。
それの示す方向は、線路の上だった。
矢印はじっと動かず、僕を誘っている。
快速電車が近付いてくるのが見えた。
もう、耐えなくても良いということだろうか。
この体を捨てても良いと、そういうことだろうか。
鉄の塊。
恐ろしい速さ。
警笛。
振動。
そして風が。
死を許された僕を、吹き飛ばす。


僕は電車の過ぎ去ったホームに立っていた。
矢印はもう消えてしまった。
心臓の鼓動が早かった。
呼吸が苦しかった。
目を開けていられなかった。
跪くと、涙が溢れた。
僕はまだ生きていた。
なぜだろう。
僕はまだ生きていたかった。
理由なんて、たぶん、それだけだ。

その日以来、僕は矢印を見ていない。
神様から見放されたのかも知れないけれど、そんなことは大したことじゃないのだと、見えなくなって学んだ。
偶然五百円を拾わなくたって、バイトをすればお金は得られる。
偶然好きな子に会えなくたって、会いたければ会いに行ける。
矢印が見えなくなっても、僕はちっとも不幸ではない。
もしかしたら、生きていること自体が、ささやかな幸福なのかも知れない。
それがあるということさえ、理解していれば。
なんて思ったり、ね。
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  1. 2007/11/03(土) 03:55:33|
  2. 連想駄文
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