シッタカブリオーネ

虚言・妄言・支離滅裂

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システム

 ネタを小出しにすることと、暖めて無意識に成熟させること、どちらにも利点はある。小出しにすれば、要するに変遷がわかりやすい。今日の自己と昨日の自己は少し違う。朝の自己と夜の自己も少し違う。違いの中から見いだすべきは、向かう方向。どこへ向かうのか、どれくらい歩いたのかがわかれば、迷いはきっと起こりづらくなる。
 しかし欠点もある。ヒトは勘違いをするものだし、手近にあるものを真実だと思い込むこともよくある。そして小出しにするためには言葉が必要で、言葉はそれ自体方向を持っている。良くも悪くも形となって現れてしまう。形は一つのあり方を肯定するもので、その他の形の否定形とも言える。なにより、目印は、振り向かせるのだ。そして叫ぶ。これこそが私のあり方だ、私はこうあるべきだ、と。
 もし僕が永遠に生きられるなら、目印なんていらない。歩くことだけを楽しもう。風のように、水のように。けれど僕は常に死への可能性をもつものだ。だから、すべては選べない。何かを選ぶしかない。欲しいのは、帰る家でなければ、臥すための墓標でもない。今の自分に必要なのは、きっと、蟻のような確実な一歩一歩だ。


 話は変わる。この社会において、嫌われ者というのは多分必要なのだ。いや、そうじゃない。この社会において嫌われ者を必要とする仕組みが存在しているというだけだ、きっと。嫌われ者というのは、それ以外の者に結束や共有される楽しみを与える。嫌われ者がいる方が和やかになれる集団が、この世には多く存在する。本当はなくても済むのだけれど、それを見つけ出しクスクスと笑い合う愉しみをほとんど誰も手放そうとしない。最初はカウンターだったのだろう、けれど簡単に手に入るそれはいつまでも機能として消えない。
 バランスをとるために何かを楽しむのは、もうやめよう。そんなことをしなくても愉快なものはある。感情は調整機能だ。けれど、調整が必要なのは他者との関係においてだけではない。あるいは、自分だって十分に他者じゃないか。
 しかし、難しいことだ、他者との関わり合いというのは。そこにはもはや、誰という単位で計れないものが成立しているから。だからできれば、最初から関わりたくない。あーあ、面倒くさい、もぅ。


 道を歩くのは容易い。けれど、昨日歩いた道をもう一度歩くのは難しい。ほとんど不可能だ。そうして、そんな馬鹿げたことを考える僕を、地球が笑う。昨日僕がいた場所は既に、物理的に遥か遠くだ。もう二度とそこへ行けない、なんてことはないけれど。
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  1. 2008/06/21(土) 23:53:43|
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