シッタカブリオーネ

虚言・妄言・支離滅裂

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フラットブラック

 雲のおかげで間接照明となった月が校舎を薄く照らしていた。屋上の鉄柵は風で軋んでいたが、その音は篤司の耳に届いていない。彼は三階のベランダで、垂れ下がったスピーカの下、壁に寄り掛かっていた。ヘッドホンから微かに漏れるメロディは、夜というこの空間の小さな反逆者だった。
 「許されるだろうか」
 口にしてみた言葉はヘッドホンを貫通して、彼の鼓膜を振動させた。
 許されるだろうか、僕は。しかし、いったい誰に?あるいは何のために?あるいは何が許されるのか。
 儀式だ。彼は思った。許すとか許されるとか、そんなものは儀式に過ぎない。感情を言葉にして、言葉の上で解決してみせて、納得したという状態を得る。そんなくだらない儀式。そしてきっと自分は、解消されない部分に固執して留まろうとするのだろう。いつの間にかそれは、名前なんかよりずっと確かそうなアイデンティティになっているから。
 篤司の目は校庭の隅で蠢く木々の影をずっと見ていた。風は吹いているようだ。少なくともそう見える。けれどそんなものは疑わしいということを彼は十分理解していた。
 狂っているのだから。世界か自分のどちらかが。
 どうしてこんなことに。そう思ったとき、不意に彼の視界を影が遮った。彼はヘッドホンを外し、前に差し出された紙コップを受け取った。
 「サンキュー」
 顔を上げた篤司の視線の先には見慣れた旧友の無愛想な顔があった。
 「あ、戸塚。下の様子はどうだった」
 篤司の言葉にその無愛想な青年は小さく首を振った。
 「そっか」
 篤司はため息まじりに頷いた。そして彼の目は、戸塚が無言で腰を下ろしたため、そのまま彼の背後に隠れていた月を捉えた。薄い雲に隠された月は満月。東の空にぽっかりと、いつまでも動かない。この世界の不動な点P。
 篤司はコップに入った気の抜けたコーラに口を付けた。
 「不味いな」
 「でも飲めるだけましだ」
 「そう、その通り。でもなんか、罰ゲームみたいだな」
 「そうだよ、知らなかった?」
 戸塚はこともなげに言った。きっとジョークのつもりだろう。
 「知ってるよ。ただ、ここじゃ何もかもが罰ゲームみたいで、いったい俺が何をしたんだ、って言いたくなるだけ」
 「篤司」
 呼ばれて篤司は戸塚を見た。もうお終いなんだな。篤司は彼の表情から、そのことを悟った。
 「僕らが犯した罪なんて、誰にも言い尽くせないほどあるんだ。自覚しても仕切れないほどに」
 「じゃあ、誰がそれを罰する?」
 「それを罪だと知る者が」
 篤司はコーラを飲み干した。指が震えているのを自覚する。けれどこの感情を表す言葉を知らない。無理矢理表現するならば、限りなく幸福に近い絶望。または、その逆か。
 「なあ戸塚。お前に言わなくちゃいけないことがあった」
 「うん」
 「ことりを殺したの、俺なんだ」
 「うん。知ってる」
 戸塚の表情は変わらない。どうしてだろう、と篤司は思った。
 「篤司、ありがとう」
 「何が?」
 「それを言ってくれて。それから、そのコーラ、飲んでくれて」
 篤司は言葉と、ヘッドホンから流れる音楽を聴いていた。もう目を開けていられない。なんて心地の良い眠気だろう。
 「僕は篤司を許せない。だから、毒を入れておいたんだ」
 「ああ、わかってる」
 篤司はそう言ったつもりだった。
 「ありがとう」
 「俺の方こそ、ありがとう」
 篤司の体は音も無くコンクリートの上に崩れた。
 戸塚はそれを見届けると空を見上げた。そしてゆっくりと呼吸をし、涙を拭うと、一人また教室へと戻っていくのだった。

テーマ:小説 - ジャンル:小説・文学

  1. 2008/10/10(金) 17:49:21|
  2. 断片
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理不尽自覚

 この夏に遊ぶ計画を立てるため、旧友に連絡を取った。彼女の頭はあまり論理的にできていない。それが彼女の特徴であり、そこから飛び出す理解不能な発言や行動こそが今でも会おうなどと思わせるファクタだろう。
 しかし、もし彼女と知り合ったのが最近であったら、僕は確実に彼女を遠ざけていたように思われる。スムーズな意思疎通などほとんど不可能だし、少し利己的すぎる。
 それなのに、彼女に対してはそれを特徴として許容している。そればかりか、そういった特徴が変わって欲しくないとさえ思っている節がある。なぜだろう、それは。

 最近は、自己というものを、他者も含めて考えるべきだとして検討している。人間は環境を使って自己のバランスをとる。バランスをとるということは、すなわちそれと全く逆の方向の力が内的に働いているということだ。意識が脳の活動の一切を把握できていない以上、他者と自己の境界は曖昧だろう。
 そして問題はそこへ向かう。僕は彼女によって何を得ているのか。何が、彼女を許容させているのか。

 僕は結局僕が知りたい。そして少なくとも、彼女より僕の方が利己的すぎることは確かだ。
  1. 2008/07/25(金) 00:50:45|
  2. 日常
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しゅーきょー

  宗教に対する度を超えた拒絶感は、少し正常の範疇を超えているように感じる。世の中で散見される、そのアンチな感情を共有する集団もまた、宗教的に見える。しかも粗悪な宗教のように。
 宗教的であるが故に批判する、というのは自らの置いている状況に気付いていないだけだろう。関係というのは大体において宗教的だと僕は考える。恋人同士なんてまさにそういうものだと思うし、何より自己という奴が最も怪しい。自己とは偶像ではないか?幻想ではないか?神の原型が他者であると言われるけれど、それ以前に自己が最も胡散臭い。宗教的とは考えられないか?
 私は私の殉教者であり、同時に私の神である。時間的広がりを念頭に置けば、その命題は全く不自然ではない。そう思うんだけど、それでもなお宗教であるというだけで叩く輩はいるのだろうか。だとしたら、何を根拠に叩くのか。何を信じて。
 見え透いた動機ではなくて、それを安定させているものが知りたい。
  1. 2008/07/24(木) 16:48:38|
  2. 日常
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バス

 夕暮れ時、バスに乗っていた。整理券を片手でもてあそんで、窓の外を眺めてた。どこかからどこかへ、たどり着くまでの間。幸福だったかもしれない。バスに乗っていたあの瞬間は。
 近頃、僕の頭は思い出してばかりいる。もう考えることはしないのだろうか。ここはどこなのか。どこかとどこかの間なのか。それとももう、すっかりたどり着いてしまったのか。

 バスに乗っていた頃、ときどきお前が前の席に座った。それとも俺が後ろの席に座った。いずれにせよ、そういうときはいつも背中を見ていた。後ろ髪、手をのばせば触れられる。どうしてついに、そうしなかったのか。簡単なこと。楽しんでいたのだ。いつか触れることを予感して、まだ触れないという状態を。それで満足していた。多分、そうだと思う。
 お前は、どうしていつもあそこに座っていた?バスには二人と、寡黙な運転手がいるだけだったのに。

 思い出す。思い出せない。嘘を思い出す。嘘を作り上げる。思い出そうとして、嘘を探している。たどり着いたらどうしよう。どうしようか。僕にはお金がない。だから降りられない。そして支払うべき代金は増していく。だから僕は窓を開けて、整理券を捨ててしまおうか迷っている。それとも僕を捨ててしまうか、ずっと迷っている。
 バスは走り続ける。バスは必ず、いつかどこかへたどり着く。知っていて乗ったのだ。でも、どうしようもない。だから、窓の外を眺め続ける。

 バスがどこかへたどり着いても、僕はどこへもたどり着かない。それとももう、ずっと前に、たどり着いていたのだろうか。

テーマ:落書き - ジャンル:その他

  1. 2008/07/24(木) 02:31:57|
  2. 妄言
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未定

--memo--

・バイトってほとんど社会主義だ、と感じる。人間の中で最も恐ろしいと感じる感情は善意だ。
  1. 2008/06/22(日) 01:22:58|
  2. 日常
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システム

 ネタを小出しにすることと、暖めて無意識に成熟させること、どちらにも利点はある。小出しにすれば、要するに変遷がわかりやすい。今日の自己と昨日の自己は少し違う。朝の自己と夜の自己も少し違う。違いの中から見いだすべきは、向かう方向。どこへ向かうのか、どれくらい歩いたのかがわかれば、迷いはきっと起こりづらくなる。
 しかし欠点もある。ヒトは勘違いをするものだし、手近にあるものを真実だと思い込むこともよくある。そして小出しにするためには言葉が必要で、言葉はそれ自体方向を持っている。良くも悪くも形となって現れてしまう。形は一つのあり方を肯定するもので、その他の形の否定形とも言える。なにより、目印は、振り向かせるのだ。そして叫ぶ。これこそが私のあり方だ、私はこうあるべきだ、と。
 もし僕が永遠に生きられるなら、目印なんていらない。歩くことだけを楽しもう。風のように、水のように。けれど僕は常に死への可能性をもつものだ。だから、すべては選べない。何かを選ぶしかない。欲しいのは、帰る家でなければ、臥すための墓標でもない。今の自分に必要なのは、きっと、蟻のような確実な一歩一歩だ。


 話は変わる。この社会において、嫌われ者というのは多分必要なのだ。いや、そうじゃない。この社会において嫌われ者を必要とする仕組みが存在しているというだけだ、きっと。嫌われ者というのは、それ以外の者に結束や共有される楽しみを与える。嫌われ者がいる方が和やかになれる集団が、この世には多く存在する。本当はなくても済むのだけれど、それを見つけ出しクスクスと笑い合う愉しみをほとんど誰も手放そうとしない。最初はカウンターだったのだろう、けれど簡単に手に入るそれはいつまでも機能として消えない。
 バランスをとるために何かを楽しむのは、もうやめよう。そんなことをしなくても愉快なものはある。感情は調整機能だ。けれど、調整が必要なのは他者との関係においてだけではない。あるいは、自分だって十分に他者じゃないか。
 しかし、難しいことだ、他者との関わり合いというのは。そこにはもはや、誰という単位で計れないものが成立しているから。だからできれば、最初から関わりたくない。あーあ、面倒くさい、もぅ。


 道を歩くのは容易い。けれど、昨日歩いた道をもう一度歩くのは難しい。ほとんど不可能だ。そうして、そんな馬鹿げたことを考える僕を、地球が笑う。昨日僕がいた場所は既に、物理的に遥か遠くだ。もう二度とそこへ行けない、なんてことはないけれど。
  1. 2008/06/21(土) 23:53:43|
  2. 日常
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こころみ

 どうも書いたり書かなかったりするので、よろしくない。書くなら毎日書く、書かないならずっと書かない、ときっぱりすべきのように思えた梅雨時日本劣等感。要ダジャレ自重。
 まあ、そんなわけで、空いている時間にメモ書き投稿をして、夜に一応の清書をしようキャンペーン勃発。どうせ一週間も続かないだろうけれど。

 本日の降水確率は20%。実際は水滴が極微量降った。以前、20%で降られることが体感的に20%を超えている、と書いた。冷静になって考えれば、ここにある理屈は簡単だ。僕は思い切り空が晴れていれば天気予報なんて見ない。雨が降るかもしれないという予感をわずかでも感じて、それで天気予報を見るのだ。だから、体感的に20%を超すのは当たり前のことと言える。
 占いなんて馬鹿馬鹿しい、と思っていたけれど、案外それに近いことをやってしまっていることを自覚する。情報は客観的に見なきゃだよなぁ、と当たり前のことを思う。

 出先に着いてからライターを持参し忘れたことに気づく、何度目だ自分。いっそ左手の薬指あたりに埋め込むと良いかもしれない。さすがに置き忘れることはなくなるだろうから。

 現在読書中の本に、“人間は脳を10%以下しか活用していない”というのはデタラメである、というようなことが書かれていた。それはもちろんそうだろう、神経科学とかから見れば。でも、その言明が意味していること、意図を想像すると、何というか的外れなように思える。
 その言明の意味、あるいは価値は、人間の可能性を具体的に小さく設定してみせることだろう。大事なことは、イメージを持つことだ。現在の状態をただ単に“まだまだ”とするのではなく“10%”とすることでそのイメージに具体性を持たせることにこそ、その言明の意図があるのだと思う。
 イメージは、未経験なものごとに取り組む場合非常に重要だと思われる。その他、未来を設計するのにも役立つ。ヒトはあらかじめ用意された着地点に向かって飛ぶものだ。イメージとは、私に先立って投げかけられた未開の着地点を照らす照明のようなものだ。そんな気が、少しする。
 個人的には、イメージを使ってものごとを云々するの、結構苦手だけれど。
  1. 2008/06/20(金) 23:54:42|
  2. 日常
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